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一
通常在听到别人和我说故事的时候,我都下意识地会去问有没有其他版本。
老王愣了一下,抖抖手上的瓜子壳,想了半宿,摸头说道,“你舅公那里的确有另外一个版本,只是我总觉得不像是为父的作风……” 坐在对面老于没吱声,紧紧捧着手里的薄荷色茶杯,有一口没一口地啜着。
“您看,不就是为了作业的缘故想讨点口述史的资料么,怎么费得二老如此……”见气氛倏尔由热转凉,我也觉得有些扫兴,想打个圆场早些收拾了这尴尬局面。老王几次下意识地想去拿烟,不过望了望对面不动如山端坐地老于,悻悻然只好拾起摊在桌上的瓜子撕咬起来——咔嚓,咔嚓清脆的几下特别突兀。
“我嫁到你王家也不是一天两天了,有些事情今天当着儿子的面也是要好好说清楚的,不然百年之后不知道别人怎么说我呢!”
啪!——“什么话呢!什么叫好好说清楚呢!那笔记就是阿毛那赤佬给我的,给我的么我就抄来,为什么不抄,为什么不抄!”后面那段是面朝我说的,老王有些“恼”了,我头和拌蒜似地不停附和,——“抄、抄……我大学都抄的……”
“呸!抄什么抄,儿子脾气像我的,考试从来不作弊的!哪像你!读书的时候就一流氓!”——接着老于和老王两双眼睛四目齐刷刷看着我,我脑门细汗一层,却又惦记着下个月的零花钱,咬咬牙心一狠——“抄抄抄,我给别人抄……”
老于嘴角微微一扬,依然是小口抿着杯口,看不出丁点波澜。老王涨红脸,心里如吃了过期三鹿一般,指着我刚想说什么,却又突然想到了什么便停了下来,淡定一坐,拿出烟抽了起来。这下,老于有些不自在起来,老王察觉到了,眉毛一挑。
二
“你说我是流氓,证据呢。大学时候我和你这个乖乖女是井水不犯河水的吧。”
“铃声响直奔操场,晚自习从未露面,考试次次65”
“于体育,校足球队前锋,实打实;于学业不求达天庭,却求不愧于心”(老王指向晾在窗印有学校名号外蓝白线裤一股自豪)
“哼,玉婷的情书、兰芳的生日礼物,你们去X大学比赛时骑车坐你背后那小妮子是谁”这一下又是一次沉默…… 老王闷了三口烟,“那小妮子……”
“你还说你不是流氓!就知道把别人女孩子弄哭!”
“把女孩子弄哭就是流氓了?那把男孩子弄哭呢?我小时候不是一直打儿子么!”
“那叫狗咬狗!”(我脸那个疼额…… 被白打了还要背黑锅)
三
散场,灯关。老头子让我在阳台陪他再抽根烟。
“儿子,那坐在我背后的小妮子就是你妈”
“啊?!”
“那天有比赛,你妈是班级里功课最好的,平时对社团活动并不积极,我只以为她是书呆子,却没想到她要去看我比赛”
“你就这样喜欢上我妈了啊?”
“哪能呢!就这么喜欢上你爸太无能了,怎么说你爸当时也算挺受班级女孩子欢迎的吧。”
“那……?”
“你妈硬要坐我的车,结果我骑了没半里路,你妈就不见了……”
“不见了?”
“是啊,就看到她躺在地上捂腿嚎呢。那时候我心一紧,就……就……觉得地上这女人大概能让我心疼一辈子吧。哎……”四
翌日,与母亲一同出门。
“老妈,听爸说当时坐那车……”
“是啊,就是我……”
“那……?爸真是不小心……”
“呸!那是老娘我故意的!”
“啊?……”
“就你爸那个花心样,不知道多少女孩子围着他呢,我才不要这种花心男人。”
“那……为什么啊?”
“你妈那时候心傲的很呢,又是数学课代表,可有一天收作业的时候让我发现有人和我作业做的一模一样!”
“我爸?”
“不是那个臭男人还是谁……于是我就设计了他一下,敢抄我作业我就要你养我一辈子!”五
一年后。
在舅公家碰到了老毛和一众亲戚。
“舅公,听说你以前就认识我爸我妈”
舅公眼光突然黯淡下来,“不提了,不提了”,再望我一脸恳求的样子,终叹气一声,“要怪就怪我儿子没福气吧……你阿毛叔叔当年和你爸是死党又是同学,不过你爸是混世魔王,你阿毛叔却是书呆子,有一次在学校看到你妈就觉着你妈不错,能要来做儿媳,就让你阿毛叔去借你妈的数学笔记好让两人多走动走动。”
老爷子停了停,抚了抚胸口的激动——“可你爸那臭小子那天正和阿毛叔在一起玩,结果那笔记本就被你爸拿去了……”
六
再三年,搬家。意外那本笔记本终被找到。
封底赫然写着“我要养你一辈子”几个公正的钢笔字,我有些不好意思,拿给老于看,老于见谎话被儿子戳穿,面子上也过不去,讪讪骂了句,“臭流氓……”,我心底一阵幸福,幸灾乐祸跑去拿给老王显摆。
老王呆了半天,眼圈一红,别过别处,半天悠悠憋出一句,
“册那,我以为那本笔记本是阿毛的。”
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2010-11-29
天皇機関説に関する美濃部達吉議員のいわゆる「一身上の弁明」 - [essAy]
(1935〔昭和10〕年2月25日第67回帝国議会貴族院)
去る(1935〔昭和10〕年)2月19日の本会議に於きまして,菊池男爵其他の方から私の著書のことに付きまして御発言がありましたに付き,茲に一言一身上の弁明を試むるの已むを得ざるに至りました事は,私の深く遺憾とする所であります。菊池男爵は昨年(1934年)65議会に於きましても,私の著書の事 を挙げられまして,斯の如き思想を懐いて居る者は文官高等試験委員から追払ふが宜いと云ふ様な激しい言葉を以て非難せられたのであります。今議会に於きまして再び私の著書を挙げられまして,明白な反逆的思想であると云はれ,謀反人であると云はれました。又学匪であるとまで断言されたのであります。日本臣民に取りまして反逆者であり謀反人であると言はれますのは侮辱此上もない事と存ずるのであります。又学問を専攻して居ります者に取つて,学匪と云はれます事は等しく耐え難い侮辱であると存ずるのであります。私は斯の如き言論が貴族院に於て公の議場に於て公言せられまして,それが議長からの取消の御命令 もなく看過せられますことが果して貴族院の品位の為め許される事であるかどうかを疑ふ者でありまするが,それは兎も角と致しまして貴族院に於て貴族院の此公の議場に於きまして斯の如き侮辱を加へられました事に付ては私と致しまして如何に致しても其まゝには黙過し難いことゝ存ずるのであります。本議場に於き まして斯の如き問題を論議する事は,所柄甚だ不適当であると存じまするし又貴重な時間を斯う云ふ事に費しまするのは,甚だ恐縮に存ずるのでありますし,私と致しましては不愉快至極の事に存ずるのでありまするが万已むを得ざる事と御諒承を願ひたいのであります。
凡そ如何なる学問に致しましても,其の学問を専攻して居りまする者の学説を批判し其の当否を論じまするには其批判者自身が共学問に付て相当の造詣を持つて居り,相当の批判能力を備へて居なければならぬと存ずるのであります。若し例へば私の如き法律学を専攻して居りまする者が軍学にを容れまして軍学者の 専門の著述を批評すると云ふ様なことがあると致しますならばそれは,唯物笑に終るであらうと存ずるのでありますが,菊池男爵の私の著に付て論ぜられて居りまする所を速記録に依つて拝見いたしますると,同男爵が果して私の著書を御通読になつたのであるか仮りに御読みになつたと致しましても,それを御理解なさ れて居るのであるかと云ふ事を深く疑ふものであります。恐らくは或他の人から断片的に私の著書の中の或片言隻句を示されて,其前後の連絡も顧みず,唯其片言隻句だけを見て,それをあらぬ意味に誤解されて軽々と是は怪しからぬと感ぜられたのではなからうかと想像されるのであります。若し真に私の著書の全体を 精読せられ又正当にそれを理解せられて居りますならば斯の如き批判を加へらるべき理由は断じてないものと確信いたすのであります。
菊池男爵は私の著書を以て我国体を否認し君主主権を否定するものの如くに論ぜられて居りますが,それこそ実に同君が私の著書を読まれて居りませぬか又は読んでもそれを理解せられて居られない明白な証拠であります。我が憲法上,国家統治の大権が天皇に属すると云ふ事は天下万民一人として之を疑ふべき者のあるべ き等はないのであります。憲法の上論には「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗二承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」と明言して居ります。又憲法第1条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあります。更に第4条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依り之ヲ行フ」とあるのでありまし て,日月の如く明白であります。若し之をして否定する者がありますならば,それには反逆思想があると云はれても余儀ない事でありませうが,私の著書の如何な場所に於きましても之を否定して居る所は決してないばかりか,却てそれが日本憲法の最も重要な基本原則であることを繰返し説明して居るのであります。
例へば菊池男爵の挙げられました憲法精義15頁から16頁の所を御覧になりますれば,日本の憲法の基本主義と題しまして其最も重要な基本主義は日本の国体を基礎とした君主主権主義である。之は西洋の文明から伝はつた立憲主義の要素を加へたのが日本の憲法の主要な原則である。即ち君主主権主義に加ふるに立憲主 義を以てしたのであると云ふ事を述べて居るのであります。又それは万世動かすべからぎるもので日本開闢以来曾て変働のない,又将来永遠に亙つて動かすべからぎるものであると云ふ事を言明して居るのであります。他の著述でありまする憲法撮要にも同じ事を申して居るのであります。菊池男爵は御挙げになりません でありましたが,私の憲法に関する著述は其外にも明治39年には既に日本国法学を著して居りまするし,大正10年には日本憲法第1巻を出版して居ります。更に最近昭和9年には日本憲法の基本主義と題するものを出版いたして居りまするが,是等のものを御覧になりましても君主主権主義が日本の憲法の最も貴重な 最も根本的な原則であると云ふ事は何れに於きましても詳細に説明いたして居るのであります。
唯それに於きまして憲法上の法理論として問題になりまする点は,凡そ2点を挙げる事が出来るのであります。第1点は,此天皇の統治の大権は,天皇の御一身に属する権利として観念せらるべきものであるか,又は,天皇が国の元首たる御地位に於て総覧し給ふ権能であるかと云ふ問題であります。一言で申しますなら ば,天皇の統治の大権は法律上の観念に於て権利と見るべきであるか権能と見るべきであるかと云ふ事に帰するのであります。第2点は,天皇の大権は絶対に無制限な万能の権力であるか,又は憲法の条章に依つて行はせられまする制限ある権能であるか,此の2点であります。
私の著書に於て述べて居まする見解は,第1には,天皇の統治の大権は法律上の観念としては権利と見るべきものではなくて,権能であるとなすものでありまするし,又第2に万能無制限の権力ではなく,憲法の条規によつて行はせられる権能であるとなすものであります,此の二つの点が菊池男爵其他の方の御疑を解く事に努めたいと思ふのであります。
第1に天皇の国家統治の大権は法律上の観念として天皇の御一身に属する権利と見るべきや否やと云う問題でありますが、法律学の初歩を学んだ者の熟知する所でありますが、法律学に於て権利と申しまするのは利益と云ふ事を要素とする観念でありまして自己の利益の為に…自己の目的の為に存する法律上の力でなければ 権利と云ふ観念には該当しないのであります。或人が或権利を持つと云ふ事は其力を其人自身の利益の為に,言い換えれば其人自身の目的の為に認められて居ると云ふ事を意味するのであります。即ち権利主体と云へば利益の主体目的の主体に外ならぬのであります。従つて国家統治の大権が天皇の御一身の権利であると 解しますならば,統治権が天皇の御一身の利益の為め,御一身の目的の為に存する力であるとするに帰するのであります。そう云ふ見解が果して我が尊貴なる国体に適するでありませうか。我が古来の歴史に於きまして如何なる時代に於ても天皇が御一身御一家の為に,御一家の利益の為に統治を行はせられるものである と云ふ様な思想の現はれである事は出来ませぬ。天皇は我国開闢闢以来天の下しめす大君と仰がれ給ふのでありますが,天の下しろしめすのは決して御一身の為 ではなく,全国家の為であると云ふ事は古来常に意識せられて居た事でありまするし,歴代の天皇の大詔の中にも,其の事を明示されて居るものが少くないのであります。
日本書記に見えて居りまする崇神天皇の詔には「惟フニ我ガ皇祖諸々ノ天皇ノ京極二光臨シ給ヒシハ豈一身ノ為ナラズヤ蓋シ人神ヲ司牧シテ天下ヲ経倫スル所以ナリ」とありまするし,仁徳天皇の詔には「其レ天ノ君ヲ立ツルハ是レ百姓ノ為ナリ然ラハ則チ君ハ百姓ヲ以テ本トス」とあります。西洋の古い思想には国王が国 を文机する事を以て恰も国王の一家の財産の如くに考へて,一個人が自分の権利として財産を所有して居りまする如くに,国王は自分の一家の財産として国土国民を領有し支配して,之を子孫に伝へるものであるとして居る時代があるのであります。普通に斯くの如き思想を家産国思想,「パトリモニアル,セオリイ」家 産説,家の財産であります家産説と申して居ります。国家を以て国王の一身一家に属する権利であると云ふむに帰するのであります。
斯くの如き西洋中世の思想は,日本の古来の歴史に於て曾て現れなかつた思想でありまして,固より我国体の容認する所ではないのであります。伊藤公の憲法義解 の第1条の註には「統治は大位に居り大権を統へて国土及臣民を治むるなり」中略「蓋祖宗其の天職を重んじ君主の徳は八洲臣民を統治するに在つて一人一家に享奉するの私事にあらざる事を示されたり,是れ即ち憲法の依て以て基礎をなす所以なり」とありますのも,是も同じ趣旨を示して居るのでありまして統治が決 して天皇の御一身の為に存する力ではなく,従つて法律上の観念と致しまして,天皇の御一身上の私利として見るべきものではない事を示して屈るのであります。
古事記には天照大神が出雲の大国主命に問はせられました言葉といたしまして「汝カウシハケル葦原ノ中ツ国ハ我カ御子ノシラサム国」云々とありまして「ウシハク」と云ふ言葉と書き別けしてあります。或国学者の説に依りますと,「ウシハク」と云ふのは私領と云ふ意味で「シラス」は統治の意味で即ち天下の為に土地 人民を統べ治める事を意味すると云ふ事を唱へて居る人があります。此説が正しいかどうか私は能く承知しないのでありますが若し仮りにそれが正当であると致しまするならば,天皇の御一身の権利として統治権を保有し給ふものと解しまするのは即ち,天皇は国を「シラシ」給ふのではなくして国を「ウシハク」ものと するに帰するのであります。それが我が国体に適する所以でない事は明白であらうと思ひます。統治権は,天皇の御一身の為に存する力であつて従つて,天皇の御一身にノ崩する私の権利と見るべきものではないと致しまするならば,其の主体は法律上何であると見るべきでありませうか,前にも申しまする通り権利の主 体は即ち目的の主体でありますから,統治の権利主体と申せば即ち統治の目的の主体と云ふ事に外ならぬのであります。
而して,天皇が天の下しろしまするのは,天下国家の為であり,其の目的の帰属する所は永遠恆久の国体たる国家であると観念いたしまして,天皇は国の元首として,言換れば,国の最高機関として此国家の一切の権利を総覧し給ひ,国家の一切の活動は立法も司法も総て,天皇に其最高の源を発するものと観念するのであります。
所謂機関説と申しまするのは,国家それ自身で一つの生命あり,それ自身に目的を有する恆久的の団体,即ち法律学上の言葉を以てせば一つの法人と観念いたしまして,天皇は此法人たる国家の元首たる地位に在しまし国家を代表して国家の一切の権利を総覧し給ひ,天皇が憲法に従つて行はせられまする行為が,即ち国家の行為たる効力を生ずると云ふことを云ひ表はすものであります。
国家を法人と見ると云ふことは,勿論憲法の明文には掲げてないのでありまするが,是は憲法が法律学の教科書ではないと云ふことから生ずる当然の事柄でありますが併し憲法の条文の中には,国家を法人と見なければ説明することの出来ない規定は少からず見えて居るのであります。憲法は其の表題に於て既に大日本帝国 憲法とありまして,即ち国家の憲法であることを明示して居りますのみならず,第55条及び第56条には「国務」といふ言葉が用ゐられて居りまして,統治の総べての作用は国家の事務であると云ふことを示して居ります。第62条第3項には「国債」及び「国庫」とありまするし,第64条及び第72条には「国家ノ 歳出歳入」といふ言葉が見えて居ります。又第66条には,国庫より皇室経費を支出すべき義務のあることを認めて居ります。総べて此等の字句は国家自身が公債を起し,歳出歳入を為し,自己の財産を有し,皇室経費を支出する主体であることを明示して居るものであります。即ち国家それ自身が法人であると解しなけ れば,到底説明し得ない処であります。其の他国税と云ひ,国有財産といひ,国際条約といふやうな言葉は,法律上普く公認せられて居りますが,それは国家それ自身の租税を課し,財産を所有し,条約を結ぶものであることを示してゐるものであることは申す迄もないのであります。即ち国家それ自身が一つの法人であり,権利主体であることが,我が憲法及び法律の公認するところであると云はねばならないのであります。
併し法人と申しますると一つの団体であり,無形人でありまするから,共の権利を行ひまする為には,必らず法人を代表するものがあり,其の者の行為が法律上法人の行為たる効力を有する者でなければならぬのでありまして,斯くの如き法人を代表して法人の権利を行ふものを,法律学上の観念として法人の機関と申すの であります。率然として天皇が国家の機関たる地位に在はしますといふやうなことを申しますると,法律学の知識のない者は,或は不穏の言を吐くものと感ずる者があるかも知れませぬが,其の意味するところは 天皇の御一身御一家の権利として,統治権を保有し給ふのではなく,それは国家の公事であり 天皇は御 一身を以て国家を体現し給ひ,国家の総ての活動は天皇に其の最高の源を発し 天皇の行為が 天皇の御一身上の私の行為としてではなく,国家の行為として,効力を生ずることを言ひ表はすものであります。
例へば憲法は明治天皇の欽定に依るものでありますが,明治天皇御一個御一人の著作物ではなく其の名称に依つても示されて居りまする通り大日本帝国の憲法であり,国家の憲法として永久に効力を有するものであります。
条約は憲法第13条に明言して居りまする通り,天皇の締結し給ふところでありまするが,併しそれは国際条約即ち国家と国家との条約として効力を有するものであります。
若し所謂機関説を否定いたしまして,統治権は天皇御一身に属する権利であるとしますならば,その統治権に基いて賦課せられまする租税は国税ではなく,天皇の御一身に属する収入とならなければなりませぬし。天皇の御一身に属する収入とならなければなりませぬし,天皇の締結し給ふ条約は国際条約ではなくして,天皇御一身としての契約とならねばならぬのであります。その外国債といひ,国有財産といひ,国家の歳出歳入といひ,若し統治権が国家に属する権利であることを否定しますならば、如何にしてこれを説明することが出来るのでありませうか。
勿論統治権が国家に属する権利であると申しましてもそれは決して天皇が統治の大権を有せられることを否定する趣旨ではないことは申す迄もありません。国家 の一切の統治権は 天皇の総覧し給ふことは憲法の明言してゐるところであります。私の主張しまするところは只 天皇の大権は天皇の御一身に属する私の権利ではなく天皇が国家の元首として行はせらるゝ権能であり,国家の統治権を活動せしむる力,即ち統治の総べての権能が 天皇に最高の源を発するものであるといふに在るのであります。それが我が国体に反するものでないことは勿論,最も良く我が国体に適する所以であらうと堅く信じて疑はないのであります。
第2点に我が憲法上,天皇の統治の大権は万能無制限の権力であるや否や,この点に就きましても我が国体を論じまするものは,動もすれば絶対無制限なる万能の権力が 天皇に属してゐることが我が国体の存する処なると云ふものがあるのでありまするが,私は之を以て我が国体の認識に於て大いなる誤であると信じてゐ るものであります。君主が万能の権力を有するといふやうなのは,これは純然たる西洋の思想である。「ローマ」法や17,8世紀のフランスなどの思想でありまして,我が歴史上に於きましては如何なる時代に於ても,天皇の無制限なる万能の権力を以て臣民に命令し給ふといふやうなことは曾つて無かつたことであり ます。天の下しろしめすといふことは,決して無限の権力を行はせられるといふ意味ではありませぬ。憲法の上諭の中には「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕力相祖ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」云々と仰せられて居ります。即ち歴代天皇の臣民に対する関係を「恵撫慈養」と云ふ言葉を以て御示しになつて居 るのであります。況や憲法第4条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依り之ヲ行フ」と明示されて居ります。又憲法の上諭の中にも,「朕及朕力子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルへシ」と仰せられて居りまして天皇の統治の大権が憲法の規定に従つて行はせられなければならないものであると云ふことは明々白々疑を容れるべき余地もないのであります。
天皇の帝国議会に対する関係に於きましても亦憲法の条規に従つて行はせらるべきことは申す迄もありませぬ。菊池男爵は恰も私の著書の中に,議会が全然天皇の命命に服従しないものであると述べて居るかの如くに論ぜられまして,若しさうとすれば解散の命があつても,それに拘らず会議を開くことが出来ることになると云ふやうな議論をせられて居るのでありまするが,それも同君が曾つて私の著書を通読せられないか,又は読んでも之を理解せられない明白な証拠でありま す。議会が 天皇の大命に依つて召集せられ,又開会,閉会,停会及衆議院の解散を命ぜられることは,憲法第7条に明に規定して居る所でありまして,又私の書物の中にも縷々説明して居る所であります。私の申して居りまするのは唯是等憲法又法律に定まって居りまする事柄を除いて,それ以外に於て即ち憲法の条規 に基かないで 天皇が議会に命令し給ふことはないと言つて居るのであります。議会が原則として 天皇の命令に服するものでないと言つて居りまするのは其の意味でありまして「原則として」と申すのは,特定の定あるものを除いてと云ふ意味であることは言ふ迄もないのであります。詳しく申せば議会が立法又は予算 に協賛し緊急命令其の他を承諾し又は上奏及建議を為し,質問に依つて政府の弁明を求むるのは,何れも議会の自己の独立の意見に依つて為すものであつて,勅命を奉じて勅命に従つて之を為すものではないと言ふのであります。一例を立法の協賛に取りまするならば,法律案は或は政府から提出され,或ほ議院から提出 するものもありまするが,議院提出案に付きましては固より君命を奉じて協賛するものでないことは言ふ迄もないことであります。政府提出案に付きましても,議会は自己の独立の意見に依つて之を可決すると否決するとの自由を持つてゐることは,誰も疑はない所であらうと思ひます。若し議会が 陛下の命令を受け て,其の命令の儘可決しなければならぬもので,之を修正し又ほ否決する自由がないと致しますれば,それは協賛とは言はれ得ないものであり,議会制度設置の目的は全く失はれてしまふ外はないのであります。それであるからこそ憲法第66条には,皇室経費に付きまして特に議会の協賛を要せずと明言せられて居るの であります。それとも菊池男爵は義会に於て政府提出の法律案を否決し,其協賛を拒んだ場合には,議会は違勅の責を負はなければならぬものと考へておいでなのでありましょうか。上奏,建議,質問等に至りまして,君命に従つて之を為すのでないことは固より言ふ迄もありませぬ。菊池男爵は其の演説の中に 陛下の 御信託に依つて大政輔弼の重責に当つて居られまする国務大臣に対して,現内閣は儀表たるに足らない内閣であると判決を下すより外はないと言はれまするし,又 陛下の至高顧問府たる枢密院議長に対しても,極端な悪言を放たれて居ります。それは畏くも 陛下の御任命が其の人を得て居らないと云ふことに外ならな いのであります。若し議会の独立佐を否定いたしまして,議会は一に勅命に従つて其の権能を行ふものとしまするならば 陛下の御信任遊ばされて居ります是等の重臣に対し,如何にして斯の如き非難の言を吐くことが,許され得るでありませうか。それは議会の独立性を前提としてのみ説明し得らるる所であります。或 は又私が議会は国民代表の機関であつて,天皇から権限を与へられたものではないと言つて居るのに対して甚しい非難を加へて居るものもあります。
併し議会が天皇の御任命に係る官府ではなく,国民代表の機関として設けられて居ることは一般に疑はれない所であり,それは議会が旧制度の元老院や今日の枢密院と法律上の地位を異にする所以であります。元老院や枢密院は 天皇の官吏から成立つて居るもので,元老院議官と云ひ,枢密院顧問官と云ふのでありまし て官と云ふ文字は,天皇の機関たることを示す文字であります。天皇が之を御任命遊ばされまするのは,即ちそれに其の権限を授与せらるゝ行為であります。帝国議会を構成しまするものは之に反して,議員と申し議官とは申しませぬ。それは 天皇の機関として設けられて居るものでない証拠であります。
再び憲法義解を引用いたしますると,第33条の註には「貴族院は貴紳を集め衆議院は庶民に選ぶ両院合同して一の帝国議会を成立し以て全国の公議を代表す」とありまして,即ち全国の公議を代表する為に設けられて居るものであることは憲法義解に於ても明に認めて居る所であります。それが元老院や枢密院のやうな 天皇の機関と区別せられねばならぬことは明白であらうと思ひます。
以上述べましたことは憲法学に於て極めて平凡な真理でありまして,学者の普通に認めて居る所であり,又近頃に至つて初めて私の唱へ出したものではなく,30年来既に主張し来つたものであります。今に至つて斯の如き非難が本議場に現はれると云ふやうなことは,私の思も依らなかつた所であります。今日此席上に於 て斯の如き憲法の講釈めいたことを申しますのは甚だ恐縮でありますが,是も万已むを得ないものと御諒察を願ひます。私の切に希望いたしまするのは,若し私の学説に付て批評せられまするならば処々から拾ひ集めた断片的な片言隻句を捉へて徒に誹謗中傷の言を放たれるのではなく,真に私の著書の全体を通読して, 前後の脈略を明にし,真の意味を理解して然る後に批評せられたいことであります。
之を以て弁明の辞と致します。(拍手)
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2010-11-08
森山的黑白摄影看什么? - [criticism]
纪实摄影师玛丽·艾伦·马克说过,“彩色照片往往令人沉湎于色彩中,结果只能起到装饰作用。”从摄影出现开始,黑白摄影既是摄影的灵魂,也是它的良心。黑白摄影是森山摄影表现的一贯手段,本书(《昼的学校 夜的学校》)在封尾处介绍森山大道的时候说,“高职未毕业便离开制式教育的森山大道,强调街头就是他的学校……他以强烈的黑白风格、撷取城市荒落一景,表现都市人孤独冷漠但又契求与人建立联系的心情,感染力道十足,深刻打动每一位城市人……被誉为是街拍大师”。那么,森山的黑白摄影,到底要看些什么呢?
/ 所谓摄影
摄影对于森山,简单地说就是他与这个世界链接的手段。对他而言,摄影是他的欲望表现也是他面对挫折或压力之后的反抗。森山觉得,每个人都会依据各自需求,产生各式各样欲望的形式,而他自己就是一个表现欲强烈的人。在他年轻的时候,经常出现“摄影是什么?”或者“拍摄照片的自己是什么?”这样的疑问。这样的疑问不仅关于摄影,也有社会与个人,森山被这些铺天盖地的质疑包围着,让他产生了恐惧和不安,而自己却又在这些气氛中要极力表现自己的生存价值,于是反而所有矛盾变成了反弹力,让他把注意力发泄到了摄影对象身上。那么,对森山而言,到底什么是摄影呢?他说,“照片是光与时间的化石”,那么“摄影”就是在复制“历史”,然后把它们记录在被作为“化石”的印刷物上。
森山还把摄影与茶道比喻在一起,虽然他也解释自己与千利休有别,但在书中的字里行间却难以隐藏他对摄影的“悟道”——“人机合一”,机械只是身体的一部分延伸,而摄影更是秉持simple is best,拿起相机,放入底片,拍摄,自我表现。对于日本人来说,摄影在一瞬间就记录下了美感、情绪,所以日式摄影传达出的是日本人对于一瞬间的感性,也是非常传统、柔韧的表达方式。摄影的让森山觉得与日本人在精神方面的微妙感觉是联系在一起的。所以他的很多作品往往是抛弃了主题,而追求瞬间的感官感受。
/ 所谓城市
森山的街拍的取材地点都是在各大城市中,但他是那种不会用“城市”这个词来思考摄影的类型。也就是说也许在他的作品里,你会看到一模一样似曾相识的人或景物,而不是他说拍东京就是一座东京塔,他拍大阪就是大阪城公园。他觉得他拍的是“街头”,或许也可以被称作为“城市”,但是城市的特征是将所有人类的欲望集合成巨大综合体的地方,那里不仅有着人类的欲望,还有许多各式各样交错的细节。而那些细节就是森山的黑白摄影所关注的地方,这些细节与对象浑然成一体,使得“城市”变成了森山眼中一个超大型的摄影棚。在这里面森山用他的摄影捕捉对象的欲望,吸收、消解,再变成自己的欲望表现出来。
/ 所谓风格
在书中有学生问森山为什么他的摄影作品总是很粗野,换句话说就是很脏。为什么森山会一直保持这样的风格,他自己很坚持地认为按下快门的瞬间就是当时自己情绪和欲望表现最直观的时候,所以在年轻的时候他习惯拍完就立刻洗出来。随着时间的推移,他也曾尝试过,在冲洗相片的时候带着冲洗相片时的情绪对自己拍摄的作品进行再构造,但发现虽然摄影作品看上去精致了,干净了,但自己当时的情感却消失了。所以森山的黑白摄影,在他看来,都是“新鲜刚出炉的”。
/ 镜子派、还是窗子派
约翰·柴可夫斯基(John Szarkowski 1925-2007)曾在他的《镜与窗》(Mirrors and windows: American Photography since 1960, 1984)中提出“摄影中镜与窗”的理论,即摄影是拍摄自己的镜子和看见外界的窗户。森山觉得与其说是“镜与窗”不如说是“镜或窗”,因为不管拍摄怎样的外界,或是抱着政治或社会因素拍摄这个世界,一定会拍摄到个人,完全依据个人观念或美学所拍摄的作品,世界也相对地混入其中。不管是拍摄战场,还是拍摄街道都是一样。摄影作品,根本上还是有一个“我”介入其中。
/ 关于相机
森山常用的相机是RICOH GR21的广角傻瓜相机。
/ 关于荒木经惟
Eros和Thanatos分别是希腊神话中爱神与死神,荒木经惟会把他们混在一起称之为Erotos,而这三点也是荒木经惟经常提出的三点。在森山看来,情色与生死是构建在一起的,而最为摄影主题来说,情色并非完全就是所谓女性的裸体,而是人本身就包含了情色与性感,而这种主题是永远存在于人类之间的。
阅读延展:
· 横尾忠则
· John Szarkowski
· 濑户正人
· 安井仲治
《晝的學校 夜的學校》
作者: 森山大道
译者: 廖慧淑副标题: 森山大道論攝影
ISBN: 9789866285998
页数: 264
出版社: 商周文化事業股份有限公司
出版年: 2010/06/03 -
2010-11-04
101029@上海双年展 - [photogrAph]





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再见了。
忘记不了(2010年)5月18日那天,武藏野红十字医院,被循环科医生告知“胰腺癌末期,癌细胞已经进入骨髓,最多只有半年生命了”。听闻这个消息后,和妻子二人顿时呆住了,感叹着为何命运会如此捉弄人。尽管以前就常常在想“即便突然死去,也没什么太惊讶的”, 但事情发生的也太过突然了。
或许之前就有过一些预兆,两三个月前,后背和大腿根部开始疼痛,右腿甚至迈不起来,就连走路都很困难,为此去看了针灸医生和按摩师。但一切并没有好转,经过MRI和PET-CT检查后,最终得知自己将不久于人世。当妻子知道我的病情后,四处闻讯延命的方法,然而得到的答案却是无药可医。
得到了身边朋友的支持,我做出了和一般人不同的决定,放弃使用抗癌药物,“用自己选择的方式走完剩下的日子。”但是光靠意志力依无法坚持,就像创作动画一样,病情却日益加重。
而作为社会人,我至少有一半行为是遵循着大众价值观的,比如按时上税,为一家了不起的公司工作。和为了延长生命而做好准备相反,尽管“要做好面对死亡的准备”,但事实上却完全没准备好。一方面我将著作版权托付给两位亲友,让他们成立一家小公司;另一方面,把我为数不多的财产交给妻子保管。不管今后会不会发生遗产纠纷,为留下的妻子解决好今后的事情,也让我能安心的前往另一个世界了。
手续方面是我和家人不太擅长的,预备工作都是在朋友的帮助下得到了快速的进展。日后,因为癌症而处在病危状态时,在遗书上签字时,想到死也没有办法吧。感叹着“啊,终于死了”。
两天前被送到武藏野红十字急救,只待了一天又转到同一医院急救。再次仔细检查才知是肺炎并发的胸水。问医生,回答很官方,这点我也很感激,“或许再有一天两天,即使撑过去了也恐怕只有一个月左右了”,这样说着时,感觉却像是在报“天气预报”那样。那是7月7日的事情了。真的是个残酷的七夕啊。
我想死在自己家里,可是想到最后会给周围的人带来很大困扰,我便想着逃出家里的方法。妻子的坚持和医院的放弃无论哪种态度实际上都是一种助力。“无论是半天还是一天与其呆在家里还不如出来吧!”,这样说着之后,便在阴森森的病房里一个人等待着死亡。曾经想过即便死了也不是什么坏事吧,面对自己这样的心情比起惊讶可能更加觉得镇定。
可是这有一点无论如何也不想,“死在这样的地方真的非常讨厌啊”。于是,从墙上的日历开始环顾四周,“哎哎,日历也排成了列队,我的幻觉也未免太个性了吧”。意识到这是职业习惯时我笑了。也许这是我距离死亡世界又近了一步。真的感觉到了死亡的临近。
托很多人的福,我奇迹般的从武藏野红十字逃了出来,回到了自己的家。虽然并不是对武藏野厌恶,这只是误解。但是正因为如此才会特别的想回到自己的家,回到我一直生活的家。让我惊讶的是,当回到家中的那一刻,居然产生了人们常常说到的“看到自己灵魂出窍”体验:在距离地面数米的地方,俯瞰着房间,自己被包裹在被单里。本来是应该留在家里等死的,却熬过了肺炎。“竟然没有死掉”,我这么想到。到了后来一直想着“死亡”的自己,迷迷糊糊中“重生”的念头在脑海里出现。神奇的是,第二天我居然再度有了力气。我把这一切归功于妻子,探病的朋友,医生,以及护士们。
既然再度充满了力量,我决定不能这样继续下去了。仅有的生命,要好好的利用起来,并且要至少还一份人情。我只告诉了为数不多的人,自己身患癌症的事情,甚至连父母都不知道。想到会给工作带来麻烦,于是怎么也说不出口。本来打算在互联网上公布这个消息,并记录下自己剩下的人生。但是即便今敏个人的死亡不是大事,但也会造成骚乱,对不起身边的朋友和亲人,对此我感到十分抱歉。
去世之前,我还想和许多人再见一面,聊上几句。这些日子里,家人、从小学关系很好的朋友、中学同学、大学同伴;漫画时期认识的好友、动画世界里一同工作、喝酒、给予彼此灵感的伙伴;以及成为动画导演后认识的人们、全世界我的影迷和网络上的朋友,都陪伴着我。想和更多人见面,但又在想“今后再也见不到这个人了”,这样犹豫的念头愈发堆积,令我无法面对死亡。即便身体有了力气,但我时日已经不多。和他人见面需要太多决心,见面之后也会痛苦,实在讽刺。而且癌细胞已经转移到骨髓,我的下半身开始麻痹,不愿意让人看到今敏瘦骨如柴的模样,我希望朋友们能记住那个健康的今敏。
现在还不知道我病情的朋友们,我要向你们说句抱歉,我希望你们能理解我任性的决定。“今敏本来就是这样的家伙”,回忆起你们的脸,脑海里浮现了往日的笑容和美好,感谢你们给了我如此美妙的回忆。我珍惜喜欢自己所生活的世界,能抱有这样的想法,就是一种幸福。
即使是与我的人生相遇很少的人们,不管对我是肯定还是否定,果然都对今敏这个人的形成是必要的吧。所以感谢与所有人的相遇。我要接受住即使是40代仅过了一半就要早逝的结果,这是我自己而非他人的命运。也许这是个好念头,所以请允许我这么想。这就是我现在对于死亡的思考,我真的感受到“很遗憾但实在无可奈何”。
但是,很多尽管放弃也是会背负歉意的人,那些无论我的病情多么严重也没办法的人,那就是我的双亲和MAD HOUSE的丸山先生,也就是今敏的血亲和作为动画监督之路上的父亲。虽然迟了些,但我想把自己真实的心情毫无保留的告诉他们。怀着乞求能得到他们原谅的心情。 看到来家看望自己的丸山先生的脸,一时止不住流泪和羞耻的心情,于是对他说了“对不起,让您见到这幅姿势”。那时,丸山先生什么都没说,只是一边摇头一边握住了我的双手。我顿时充满了感谢之情,心中涌起了怒涛一般的欢喜之情,那是与他共事以来言之不尽的感谢。这也许听起来有些夸张,但我唯有此说。也许可以任性的说,我感到一下子被他原谅了。
我心里最挂念的是电影《造梦机器》,姑且不论电影本身,也担心参与制作的工作人员们,这让我无可奈何。因为,我当心由于自己的笨拙而导致至今呕心沥血描绘出来的作品会被砍掉,很有可能造成谁都看不到的结果。为什么是我负责原作、脚本、角色与世界观设定、分镜、音乐等等一切动画的工作呢?当然,作为作画监督和美术监督与很多工作人员有共同点,但是基本上都是非我就不能理解、制作不出的内容。变成这样可以说是我的责任,但还是希望能够作出与我自己的世界观共有的东西还努力。所以正是因为作出了这样无德的事情才会让我的骨头痛如压轧吧。
正因为如此,今敏会被人说“原来是那样的家伙”;正因为如此,我多少也要作出和他人不同、凝缩了“怪东西”的动画作品。也许这是相当傲慢的说法,但请看在癌症的份上原谅我吧。
我当然也不想束手等待死亡,于是起了“即使今敏死了之后也要让作品继续下去”这样肤浅的念头。丸山先生向我说“没关系,不管什么都能做所以不用担心”的时候我嚎啕大哭。至今电影的制作也好预算也好都欠了人情债务,但最终都是由丸山先生来做。与之前一样,我没有任何进步。与丸山先生尽情谈话之后,我才感到正是因为他,今敏的才能和技术才成为了业界的宝物。可惜了这份才能,真的好想坚持下去啊。我会怀着对MAD HOUSE的丸山先生的这份敬仰,多少会变得自信,将此作为礼物走入冥界吧?
确实即使不对别人说也好,只是单纯不想让奇思怪想和细致描写的技术流失,是仅此而已的无可奈何。因此非常感谢丸山先生给我机会让这些思想和技术能够展示于世。今敏作为动画监督真的是很幸运。我痛苦的把自己的病症告知双亲,本想趁身体还能自由行动时告诉札幌的双亲,但病情发展迅速,但最终是在临终之前的病房里很唐突的打电话告诉了他们。我 说到“我因为胰腺癌晚期恐怕要死了。父母生下我真是太好了,谢谢你们”。二老被突然告知肯定无法忍受,为何我那时已经有死的觉悟了呢?
在我回到自家,好几次因为肺炎病危的时候,终于下决心见见父母了。我非常想见他们,但是即使痛苦、没有力气我也要见一面,并直接感谢他们把我带到这个世上。我真的很幸福,虽然比别人的人生快了一点,对于我的妻子也好双亲也好,还有我喜欢的人们都感到十分抱歉。与我的任性相比,翌日双亲从札幌赶来看我,昏睡中母亲说“真对不起!没把你健康的生下来”。这让我无法忘记也无法回答。虽然与双亲度过了短暂的时光,但这已足够。亲眼见到对方的脸,就会全部理解了。谢谢你们,父亲母亲,作为你们的孩子出生在这个世上是最幸福的事,我对你们的感谢数之不尽。幸福虽是重要的事情,但同时也要感谢你们养育了我感受到幸福的力量,真的非常谢谢你们。
先双亲一步虽然很不孝,但这数十年间,我也获得了作为动画监督把自己所爱一展拳脚,达成目标的评价。虽然作品没有大卖有点遗憾,但没关系啦。在我的人世中,生活的密度是别人的数倍,相信双亲也很理解我所想。能对双亲和丸山先生直接说出这些话,让我如释重负。
要给比谁都挂念着的,依赖到最终的妻子。宣告余生以来两人数次落泪,每天彼此身心残酷,难以言语。但是能够多次度过痛苦的日子,正是妻子在那之后对我所说的“我会好好陪伴你到最后”这样强大的话。正如她所说,为了不让我担心,处理各种繁杂事务,又是整理,又是找护工,看到她繁忙的背影我不禁感动“我的妻子真是厉害!”“现在才这么说吗?”不,是比之前感受到的更多了。即使我死后,我也相信她能够很好的为我送行。想来自结婚以来一直沉浸工作,能够每日悠闲在家度日是从患了癌症开始。埋头工作是因为具备才能,我的妻子能很好的理解这一点,想到这里,我就觉得自己真是幸运。从生到死都陪伴我去迎接,对此我感激不尽。挂念的事情当然还有很多,数之不尽,但万事归终。
另外,对于至今仍然难以接受、并在我家给予我最终看护的主治医生H先生以及其妻护士K女士的表达深切感谢。因为在自家医疗上有很多不便,为了减轻癌症的痛苦他尝试了很多方法,想让我在这个过程中至少能够舒适一些。面对我这个因为麻烦而脾气很大的患者,他们超越了单纯的工作,给予了我们夫妻人性的关怀和支持,以及人格上的鼓励。再次深深感谢。
终于到了最后,五月中旬知道自己生命即将走到尽头的时候,倾尽全力给予我最大支持的两位朋友,KON STONE工作室的成员也是我高中时代开始的好友T先生,以及制作人H先生,衷心的谢谢你们。真的是太感谢了,从我贫乏的词汇中很难找到对你们的感激之词,不过我们夫妇确实受到了你们无微不至的照顾。要是没有你们的话,我大概会死的痛苦,就连妻子也会被这份痛苦所折磨吧。不论怎么说,真的是太受你们照顾了。虽然不好意思,但请帮助我的妻子一起,直到我入土为止,这样我也能安心的走了。拜托了。
读完这么长文字的各位,我要感谢你们。怀着对世界上一切美好的感激,我就此落笔。那么,我就先走一步了。
今敏。